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03 24
2014

男声合唱

歌う人のためではなく、聴く人のための男声合唱ガイド8 コルシカの男声合唱

ア・クンパーニャ - イン・パディエッラ
★★

In Paghjella
In Paghjella

MP3バージョン

 前回とりあげたグルジアと、今回あつかうコルシカ島にはいくつかの類似点がある。前者が陸の要所であるとすれば、後者は海の要所であり、歴史上幾たびもの戦乱が繰り返されてきた。コルシカ島の支配者も何度か交代している(現在はフランス領)。政治の分野では、周知の通り、グルジアはスターリンの、コルシカ島はナポレオンの生誕地である。彼らが、世界史に残る英雄、あるいは独裁者として賞賛、批判されてきたこともよく知られている。言語の面でも注目すべきだろう。グルジア人はグルジア語、コルシカ人はコルシカ語という独自の言語を持っている。

 音楽の面で重要なのは、男声合唱によるポリフォニーが栄えたという共通点を持っていることである。そして、両者の音楽は長年にわたって伝承され、実にユニークなものだとみなされるようになった。

 グルジアとコルシカの相違点を挙げよう。一つは、キリスト教の受容である。グルジアにおいては、早くから受け入れられた。現在のグルジア東部を支配したイベリア王国がキリスト教を国教化したのは337年。ローマ帝国が認めるようになったのが392年であるから、それに比べるとかなり早い。讃美歌が作られたのも古くにさかのぼる。

 一方のコルシカでは、キリスト教の中心地であるローマに近いにも関わらず、なかなか浸透しなかった。ローマ帝国の東西分裂による国力の衰退、また、島へのゲルマン人やイスラム勢力の襲来により、「布教したいんだけれどもねえ……」みたいな状態が数百年ものにわたって継続した。島国共通の閉鎖性ということもあるだろう。コルシカ島では独自の国が発達することはなく、したがって彼らは自分たちを守るための武力に乏しかった。そんな状況で外からの攻撃に絶えず晒されていたわけだから、彼らは逃げる他ない。島を脱出するか、島の内部(山間部)にこもるか。彼らは後者を選んだ。そうすると、ますます外界との交流は少なくなってしまう。

 こうして、コルシカ島の治安が良くなった後も、伝道師にとっては仕事がやりにくい地域となってしまった。彼の地道な努力によってキリスト教は徐々に島民に受け入れられはするのだが、その障壁となった強い閉鎖性が島の文化を独特なものにしていった。

 グルジアとのもう一つの違いは、伝統音楽を危機に追い込んだ原因であろう。先にも書いたが、グルジアでは歴史上、さまざまな文化圏の国によって攻撃され支配された。音楽への弾圧も二度や三度ではなかった。そんな中で伝統が長年にわたって維持されている理由として、民族意識の高まりにあるものと推測した。

 コルシカ島もいく度かの戦乱は経てきたが、イスラム圏の影響から脱出した11世紀以降は基本的にキリスト教国どうしの激突であった。音楽が弾圧される危険性はグルジアほどにはなかったということになる。コルシカの音楽にとっての危機は、戦争や政治というよりも、むしろ第二次世界大戦後の急速な経済発展、あるいは都市化であった。若者の間に、仕事や教育、ライフスタイルなどさまざまな理由から、フランス本土、特にパリへ行きたいという憧れが強くなっていき、結果、島を離れる者が増えていく。島民の日常会話もコルシカ語からフランス語へと変わっていった。それにともない、コルシカ語で歌われる伝統音楽は消滅の危機に陥った。

 日本でもそうであったように、中央への集中が地方の衰退を招く。それを堰き止める力となったのは、「地方を見直そうじゃないか」とか、「地元のことは地元でやろう」といった動きである。コルシカの場合、1970年代の後半から80年代にかけて激烈な政治闘争にまで至った。その中で伝統音楽の再評価が行われるようになり、コルシカ語を歌うグループや歌手が多数現れるようになった。かつて、コルシカ島の地域主義と対立したフランス政府も、現在は島の文化を保護するようになっているという。

   *  *  *

 コルシカ島の歌にはさまざまなジャンルがあるが、その1つであるパディエッラは、2009年になってユネスコの無形文化遺産に登録された。パディエッラは、一言でいえば即興詩吟ということになる。ただ、そこから生まれ、長年伝承されてきた歌に対してもこの呼び名が与えられるようだ。とはいっても、やはり音楽を作りあげるにあたっては、即興で行わないといけないところが大きいようで、習得は簡単ではないらしい。基本は3声で、真ん中の声が詩を歌い上げ、それに低音と高音が次々に加わるといったぐあいである。

 コルシカの男声グループはいくつかあるが、今回は、1978年に結成された「ア・クンパーニャ」のCDを選ぶことにした。MP3アルバム版で試聴が可能である。ぜひ5曲目(So' centu voce di l'esse)を聴いてほしい。超低音が頭からしばらく離れなくなる。この、ロシアを思わせるような音は、コルシカの歌の主流にはないかもしれないが、これを聴くだけでも価値があるCDだ。
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03 20
2014

男声合唱

歌う人のためではなく、聴く人のための男声合唱ガイド7 グルジアの男声合唱

トリオ・カフカシア 朝の微風――伝統的なグルジアの歌
★★
O Morning Breeze
O Morning Breeze

 ロシア、トルコ、アルメニア、アゼルバイジャンという4つの国家、および黒海に囲まれたグルジアにおいては、古くから合唱が盛んだったようだ。11世紀から12世紀にかけて活躍したグルジアの哲学者イオアネ・ペトリツィは、3声のハーモニーについての記録を残している。この頃の西欧の合唱が斉唱もしくは二部合唱が大勢だったことを思えば驚異的である。そして、グルジア人は三部合唱という形態を今でも守り続けている。西ヨーロッパで主流となっている4声の合唱は、彼らの音楽においてはそれほど多くない。

 四部合唱という形態に慣れた方からは、どうして彼らは3声で歌っているのかという疑問を持たれるかもしれない。彼らに言わせれば、4パートにする必要がなかったということであろう。なぜなら、男女で一緒に歌う習慣があまりないからだ。グルジア人は男だけ、女だけで歌うことを好む。混声合唱では、男女ともに声の高い者、声の低い者がいるため、男女をそれぞれ2つに分けるのは自然な要求であろうが、男声合唱や女声合唱では必ずしも4つに分ける必要はない。ドミソは3パートだけで鳴らせる(1)。もし、彼らが3つで物足りないと感じればソロを入れればよいと考えた。こうすることで、単純に4声合唱にするよりも音色の対比が大きくなる。合唱では困難な技巧を1人の優れた歌い手にまかせることもできる。

(1)多少専門的な注。ドミソのうち、一番高い音をドにしたい場合、3声だと下の音から「ミ、ソ、ド」とするのが一般的であろう。「ド、ミ、ソ」を和音の基本形というのに対して、「ミ、ソ、ド」は第1転回形と呼ばれ、後者は前者よりも不安定な響きとなる。下のドを加えて「ド、ミ、ソ、ド」とすればより安定した和声となる。4声のメリットはこういったところにある。

 それにしても、3声の合唱を少なくとも900年にわたって守り続けるというのは尋常なことではない。日本のような島国とはまったく違う環境だ。歴史上、四方のあらゆる国々によって攻撃され、支配された。ローマ帝国から、トルコやロシア、ペルシアから、そしてモンゴル帝国からも。もちろん、すべての支配者がグルジアの音楽を保護したわけではない。宗教音楽の中心となった教会は幾度となく破壊されてきた。

 グルジアの合唱音楽を変化させようという圧力は戦争や政治だけではなく、おそらく外の合唱界にもあっただろう。「4声にしようじゃないか」という“外圧”にも長らく晒されてきたに違いない。しかしながら、グルジア人はある程度は4声を受容しつつも、それを中心にすることを望まなかった。なぜだろうか。

 グルジアの合唱を現地で聴いた大橋力によると、グルジア人の中には「ポリフォニーは自分たちがヨーロッパに教えてやったと考えている人が多」いのだという(2)。彼らが本当に西側に伝えたのかどうかはともかく、このような意識を持っているということが重要だ。彼らの、伝統を守ろうとする態度は、おそらく日本人のそれを相当上回っている。自分たちを守るには戦力を高めるだけではない。民族意識の向上が大事だと考えたのだろう。そして、それを高めるためには、自分たちの生み出したものを磨き上げ、守り抜き、そして後世に伝えるという心構えが重要だと、彼らは古くから気がついていたのだろう。だからこそ、外の「新しいもの」に対しても保守的にならざるを得ない。

 彼らの「戦略」は成功した。グルジアの音楽が世界に広く知られるようになってからは、グルジア人だけでなく、他の人たちも守るべきものだとみなすようになったのだ。その証拠に、ユネスコが2001年に無形文化遺産の登録を始めた時に、グルジアの多声合唱は1回目に選ばれるという偉業を成し遂げている。

(2)CD『サカルトベロ奇蹟のポリフォニー――東西の陸橋カフカズの合唱』(ビクターエンタテインメント)

   *  *  *

 トリオ・カフカシア(Trio Kavkasia)によるアルバムを聴いてみよう。カフカシアとはコーカサスのこと。3人のグルジア人……ではなくアメリカ人によって1994年に結成された三重唱団である。Wikipedia英語版にも彼らの記事があるから、そこそこ有名なのだろう。今までに3枚のCDを発売していて、今回紹介するものは2001年にリリースされた2枚目である。

 本当はもっと大人数の合唱団によるものを挙げるべきだろう。もちろん、そちらの方が迫力たっぷりだ。このCDをあえて紹介するのは、彼らの演奏の良さだけではない。グルジアの音楽の個性である3声を、各パート1人で(つまりソロと合唱の対比を行わずに)演奏するだけでもどれだけ豊かな音楽ができるか――それが伝わるのに実に好箇だと思ったからだ。25曲中6曲は伴奏つき。

   *  *  *

サカルトベロの奇蹟のポリフォニー / 東西の陸橋カフカズの合唱
サカルトベロの奇蹟のポリフォニー / 東西の陸橋カフカズの合唱
 先の録音と対照的なものとして、注でも紹介したCDを挙げる。15曲収録されており、前半の7曲は女声合唱。残りが男声合唱である。「メスティアの男声合唱団」による「ザリ」がとりわけ素晴らしい。「平均年齢75歳」であることを感じさせない。

 今回の文章を書くにあたって、二見淑子「グルジア民謡とグルジア正教会の聖歌――その発展と性格(特に音組織)」という論文を参考にしたが、このCDの12曲目「ハッサンベグラ」の歌詞が日本語訳で掲載されている。
03 06
2014

男声合唱

歌う人のためではなく、聴く人のための男声合唱ガイド6 江戸の木遣り

江戸木遣り ベスト
★★
江戸木遣り ベスト
江戸木遣り ベスト
(社)江戸消防記念会 第五区木遣り会
杉林仁一/杉林久男/田中 昭/杉波弘匡/棟方信行/野口義之

  多くの皆様の中には、木遣りを聞いたことがある方もいらっしゃると思いますが、
  ほとんどの方がなにを言っているのか分からないと思います。


 第五区木遣り会が著したCD解説からの引用である。実際、歌詞を見ずに聴くと何を歌っているのかさっぱりだ。少し注意して聴けば、言葉を歌っていることはわかるのだが、一文字一文字が大幅に引き伸ばされている上に、全体の大半が「ヤーレー」だの、「ヨーイ」だの、「アーレーワーサー」といったものなので、意味を理解することは難しい。

 かつてコロムビアミュージックエンタテインメントの最高経営責任者を務めた、廣瀬禎彦の発言を聞いてみよう。

  歌詞はメッセージです。歌を歌うということはすなわち聴く人にメッセージを伝える
  ことです。したがって、まず、聴く人にとって歌詞がはっきりと聞き取れなければ
  なりません。自分は歌詞を歌っているつもりでも聴く人に届いていなければちゃんと
  歌えてない事と同じです。

  http://www.jpma-jazz.or.jp/feature/

 おそらく皆さんのほとんどが、「歌うことはメッセージを伝えること」という教えを受けたことがあるはずだ。その考えを至上とする立場からは、江戸木遣りの歌い手たちは「ちゃんと歌えてない」ということになるのであろう。CDの解説者=木遣りの担い手がなぜ、聴き手に歌詞を伝えられないという状況に甘んじているのか不思議に思うはずだ。もっとわかりやすく歌えないのか?

 彼らは内容の伝達を意図的に拒んでいるのだろうか。もちろんそうではない。でなければ、「なにを言っているのか分からないと思います」の後に、「そのようなわけで分かり易く〔歌詞を〕書いてみました。皆様方に歌っている木遣りが少しでもご理解いただければ幸いに存じます」(括弧内は引用者)と書くはずがない。相手に意味を伝えることよりも、他の面に力を入れることにしただけなのだ。

   *  *  *

 木遣りの歴史について触れよう。木遣りはもともと労働で用いられる歌であった。それが仕事の場を離れて祭りなどで用いられるようになり、やがて祝儀のための歌に変貌していった。今日の江戸木遣りは、後者のタイプに属する。なお、木遣りの原義は字の通り、「木を(どこかへ)やる」ということで、大木を動かす時に使われていた歌のようだ。他にも、重い物を運ぶ仕事、すなわち、家を建てたり、漁師が網を曳いたり、あるいは船を海に下ろす作業の際にも用いられるようになった。

 皆さんも、何人かで一斉に重い物を持ち上げたり、押したりするとき、誰かが「せーのっ」と号令をかけ、みんなで「よいしょっ」などと声を挙げることがあるはずだ。もともとの木遣りもそれと同じである。みんなが同時に力を動かすには、「よいしょっ」の声がバラバラであってはならない。テンポを合わせないといけない。さらに、大勢の人が働く現場なので、「せーのっ役」は周りに聞こえやすいように高い声を使わないといけない。木遣りのソロを担当しているのがたいがい、西洋音楽でいうテノールなのはそういうことなのだ。
 
 仕事をはかどらせるためには、「せーのっ」「よいしょっ」と次の「せーのっ」の間に長い休みがあってはいけない。「せーのっ」「よいしょっよいしょっよいしょっ……」とか、「せーのっ よいしょっ せーのっ よいしょっ……」といったぐあいにすれば一番いい。しかし、そうとう重い物を押したり引っぱったりする際には「よいしょっ」と次の「よいしょっ」の間には適度な時間を置かないと労働者が疲れてしまう。うーん……あんまり長くしてもいかんしなあ、短くしてもみんなが嫌がるだろうし……。そうだ! 何か言葉を入れて歌うことにしよう。歌ならテンポがあるからみんなも合わせられるし、仕事の苦しさも忘れられるんじゃないかな。

 こうして木遣りは誕生した。「何か言葉を入れて」と書いたけれども、あくまでも仕事をはかどらせるためであるから、別に意味のある文言である必要はなかった。つまり、囃子(はやし)言葉で十分であった。自分たちで考えたのか、他の民謡から取り入れたのか、ともあれ、「せーのっ」と「よいしょっ」の間に「コレハセー」だの、「ドッコイー」だのいろいろな言葉が混じるようになった。

 彼らも地域の一員として、宴会やお祭りにも参加していたはずだ。村人だって、木遣りの声を知らないはずがない。宴会にて村人の誰かが、「あんたら、いつもええもん歌うのー。どうじゃ、いつもやってる感じでお祝いの文句を歌ってくれんかー」と木遣り衆へ要求するといったこともあったろう。あるいは、労働者が木遣りの節を、毎日毎日同じように唱えるのは飽きたとか言いながら、祝い歌の歌詞をつけて歌いたくなったのかもしれない。歴史を語るとか言いながら筆者の想像がだいぶ入っているのだけれども、ともあれ、仕事歌としての木遣りはだんだん祝い歌へと変貌していく。

 江戸時代にはお蔭参り、つまり伊勢神宮への参詣が流行したそうだが、伊勢から帰った者たちは、「あっちではこんな歌が流行ってたぜー」などと言って、伊勢音頭を村人たちに伝えていた。木遣りを担う若者たちが感化されないはずがない。ああ、自分たちも歌いたいと。こうして、木遣りの歌詞は伊勢音頭の影響を受けてしまった。そして、ますます仕事歌から離れていく。

 「仕事のための歌」から「祝儀のための歌」への変化。このことは、歌の目的が「自分たちのために」から、「周りの人たちのために」「地域社会のために」へと取って代わられたことを意味する。彼らにはリズムを合わせる必要はなくなったのだ。かわりに、いかにして人々を歌声で魅了するかということに専念することになった。高い音を磨き上げたり、西洋音楽でいうところのビブラートをふんだんに入れてみたり。ずぶの素人には決して歌えない音楽へと鍛えられていった。

 このような疑問を持たれる方もいるであろう。「歌をやるんだからやっぱり、みんなで声の出入りや音程を揃えたほうがいいんじゃないの? 木遣りを聴いているとちっとも合ってないんだけれど。仕事でリズムを合わせてたんだから、それぐらいできるんじゃないの?」

 確かに。彼らだって、外部から「あいつら、声が揃ってねえじゃないか」と批判されれば改善しただろう。おそらくだが、周りはそのように咎めることをしなかった。おそらくを重ねるが、「むしろ揃っていないことがいいんだ!」と評価するようになった。そういえば、作曲家の黛敏郎は、読経の「音楽的な面白さ」についてこのようなことを語っていたことがある。木遣りにも当てはまることだと思う。

  それぞれ自分の一ばん声の出し易いピッチで自由に唱えるとき、不可避的かつ
  偶発的に、非常に複雑な複合音――現代音楽ではトーン・クラスターという――が
  生じ、それが計算されたハーモニーとは全く違った、豊かな音楽的世界を創り出す
  というところにある(1)


 黛が、上の解説を書くこととなった作品が交声曲《般若心経》である。彼はこの作品において、歌い手のピッチを自由にしようと意図した。

 作曲家の間宮芳生に、《合唱のためのコンポジション》という作品がある(2014年現在、第1番から第18番まで書かれている)。第1番の第1楽章は、江戸木遣りを素材とした男声合唱となっている。田中信昭指揮、東京混声合唱団の演奏(日本合唱曲全集 間宮芳生作品集)を聴いてみよう。音楽之友社の楽譜を片手にCDをかけると……あれ? テノールの入りがまるで揃っていない。最初の「ドットコーシェー」はちゃんと合わせられるでしょ? 何でそうしないの? もちろん、これは故意である。作曲家のアイデアか、指揮者の発想かはわからないが、わざとバラバラにしたのだ。

 以上、「同じでないことがいいことだ」と考える人たちの例を紹介した。「歌詞が聞きとれない」という問題も、木遣りの聴衆にとってはどうでもいいことか、むしろそれでいいんだということだろう。出初め式で歌われる木遣りがどういう内容のものかを周りが事前に知っていたとすれば、歌詞の伝達に重きを置く必要はないのだ。

 「ピッチ、リズムがともに乱れているし、歌詞も聞きとれない」というのは、合唱コンクールの場では致命的であろう。だが、木遣り衆と、彼らを取り囲む社会ではそう考えられていない。音楽の良し悪しは単一の価値観によってはかられるものではないのだ。ある種の人にとっては「ちゃんと歌えてない」と難じられるものも、他の人にとっては「実に立派な歌いぶり」と賞讃されることもある。私は皆さんに対して、後者のような立場で木遣りに接してほしいとは望まない。「聴いて損したよ」という感想があってもいい。ただ、このような音楽が成立するのは、それを望んでいる社会がある(あった)からだということが皆さんに少しでも理解できれば、私の紹介の目的は果たせたということになる。木遣りに限らず、チベットの聲明でも、ケチャでも、グレゴリオ聖歌でも、あるいはこれから登場する多くの男声合唱においても同じだ。

(1)「交声曲『般若心経』について」(LP『交声曲 般若心経』ワーナーブラザーズ・パイオニア L-10001W)
 
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 木遣りについては、宮内仁『日本の木遣唄1』『日本の木遣唄2』(日本図書刊行会)が詳しい。木遣りの変化の段階を、歴史を追いながら5つに分けて説明をしており、とてもわかりやすい。なお、江戸木遣りについては著者の意向により(他の人たちによる著述が多いためとして)詳述されていない。

 本文に組み込めなかったもので、ここで、消防団が江戸木遣りを担当している理由について簡単に書く。かつて、消火作業を行っていたのがとび職だったからだ。家の建築のプロである彼らは、周りへの延焼を防ぐために、家を破壊する仕事にも向いていた。木造建築が主流の時代では、彼らは木を運ぶプロでもあったわけで、木遣りを歌うにはもっともふさわしい。
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Author:scaffale
「日本詩人愛唱歌集」「校歌の花束」の管理人

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