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04 11
2013

男声合唱

歌う人のためではなく、聴く人のための男声合唱ガイド101(無伴奏編)その2

  ◆長いまえがき◆

 クラシック音楽は合唱より始まった。すこぶる大ざっぱにクラシックの歴史を1000年とした場合、前半の500年は合唱が常にクラシック音楽の玉座を占めていた時代だといえるであろう。とすれば、後半は次のようにいえる。オーケストラやオペラ、ピアノ曲などの「新しい音楽」が登場し、それらによって合唱は玉座から追放されたのだと。

 後半の5世紀は、一般的なクラシック音楽では、ルネサンス、バロック、古典派、ロマン派、近代、現代といったように区分される。合唱は、ルネサンス音楽の頃までは明らかにクラシック音楽の中心にいた。バロックから古典派の時代に、管弦楽やオペラ、鍵盤音楽が台頭し、そして、重要な地位を占めるようになった。しかしながら、合唱は依然として重要なジャンルであった。

 そして現在。クラシック音楽といえば、先ほど挙げた3つのジャンルのどれかを思い出す方が多いであろう。合唱はかつての地位を失った。クラシック音楽の中に新しいジャンルが増えて、合唱がワン・オブ・ゼムになったからだ、という解釈では、管弦楽が支配的地位を占めるようになった理由を説明できないであろう。読者の中には「オペラもかつての輝きを失った」と思う人もいるだろう。たしかにそうだ。では、なぜ、あんなにオペラのガイドブックが出版されているのだろう。
   *  *  *

 何かのジャンルにはたいてい、ガイドブックがある。私たちは、書店や図書館にてクラシック音楽の手引きを容易に見つけることができる。この文章を読んでいる方にも、「交響曲」「協奏曲」「管弦楽曲」「室内楽」「器楽」「オペラ」「声楽曲」などといった区分を見たことがある方は多いであろう。それぞれのジャンル別のガイドブックも少なくない。『協奏曲の名曲・名盤』(宇野功芳 著、講談社現代新書)『ピアノ名曲名盤100』(諸井誠 著、音楽之友社)『クァルテットの名曲名演奏』(渡辺和 著、音楽之友社)『一冊でわかるオペラガイド130選』(山田治生 他編著、成美堂出版)などである。

 一方、合唱はどうか。むろん、クラシック音楽の名曲名盤本の類では合唱も扱われる。『CD名曲名盤100 声楽曲』(國土潤一 著、音楽之友社)や、『200CD アヴェ・マリア――宗教音楽の名曲・名盤』(200CDアヴェ・マリア編集委員会 編、学習研究社)では合唱にかなり多くのスペースが割かれている。しかしながら、合唱曲だけを扱ったガイドブックはほとんど存在しない。まったく書かれていないといってよい。クラシック音楽のなかでも他のジャンルよりも長い歴史を持ち、たくさんの名曲が生まれているはずなのに。

 このことの不思議さを、以下をお読みいただくことで実感いただきたい。

 クラシック音楽を総合的に扱う類の本ではあまり扱われない、ないしは無視されている領域として、古楽、現代音楽、吹奏楽がある。「クラシック音楽」というイメージでまっさきにこれらを挙げる人は、合唱を挙げる人たちよりも相当少ないに違いない。これらのジャンルにも、聴き手向けにどういう曲を聴いたらいいかを紹介する専門書が存在する。寄り道になるが、今挙げた3つのどれかに興味をお持ちの方もこれを読んでいると思うので、いくつか紹介する。

  古楽
200CD古楽への招待編纂委員会編『200CD 古楽への招待――クラシック音楽の探究』(立風書房、1996年)
『古楽CD100ガイド――グレゴリオ聖歌からバロックまで』(国書刊行会、1996年)

  現代音楽
白石幸紀構成・編『現代音楽CD×100』(PARCO出版、1995年)

  吹奏楽
磯田健一郎編『200CD 吹奏楽名曲・名演――魅惑のブラバン』(立風書房、1999年)
富樫鉄火、石本和富、橎堂力也『一音入魂! 全日本吹奏楽コンクール名曲・名演50』(河出書房新社、2007年)
富樫鉄火、橎堂力也、石本和富『一音入魂! 全日本吹奏楽コンクール名曲・名演50 part2』(河出書房新社、2008年)

 さて、合唱はといえば、『200CD 合唱名曲・名演』や『合唱CD×100』や『一音入魂! 全日本合唱コンクール名曲・名演50』といったものは出版されていない。

 10年以上前に『合唱名曲ガイド110――ア・カペラによる混声合唱』(松原千振、山田茂、岡部申之 著、音楽之友社)という本が出版された。「はじめに」にはこうある。「中世から現代までに作られた・ア・カペラの混声合唱から、代表的な作品を110曲選び、解説したものである」。今まで、合唱には聴き手向けのガイドブックが存在しないかのごとく書いてきたが、ここまで読んできた方の中には、「この本があるではないか」という反論をお持ちの方もいらっしゃるであろう。内容を読めばわかるが、今まで上で紹介してきた本と、根本的に異なるものだ。「このCDがおすすめだ」といった類の言葉がほとんどない(1)。名曲について書いてはいるけれども、名演について語ってはいないのだ。そして、この本の選曲基準はこうである。

  現在、国内楽譜もしくは輸入楽譜で入手可能な作品を、本書では取り上げている。

 この本では「聴きどころ・歌いどころ」という項目を各曲に置いているが、全体的に「歌いどころ」に偏っている。ジョスカン・デ・プレの《こおろぎ》が典型的だ。この本で扱う「聴きどころ」というのは、一般的なリスナー向けのものではなく、「同じ音を歌うパート同士は、譜面上で確認し、よく聴き合って合わせる」といったように、合唱団で練習する人向けのものなのかもしれない。この本が想定する読者は、「合唱音楽の聴き手になろうとする人」ではなく、明らかに「合唱団員」や「合唱指導者」である。とはいっても、女声合唱団員や男声合唱団員のことをまったく無視してしまうのは工合が悪かったのだろう。そこで、「巻末には、付録として、……『女声・児童・男声合唱レパートリーリスト』を掲載し、読者の便に供した」。リストで紹介されている曲の中には、CDがないものも少なくない。誰のために書かれているのかは明白だ。「あとがき」には、「合唱音楽活動をしている私たちの接している作品は」とある。「私たち」と書いたとき、筆者である3人(いずれも東京混声合唱団関係者)は、自分たちのことを指しただけではなく、読者であるあなた、そう、合唱活動をしているあなたのことも含めていたに違いない。

 長々と書いたが、この本を批判するのが本稿の目的ではない。あくまでも、「聴き手のための」合唱のガイドブックが見つからない現状を説明するためにとりあげたのであって、「この本は、合唱団に所属する人以外には不親切だ」と論難したいのではない。

(1)ジャヌカン「鳥の歌」の紹介で、ヒリヤード・アンサンブルやクレマン・ジャヌカン・アンサンブルの演奏について触れているが、前後を読めばわかるとおり、「合唱団が演奏する上で両者は参考になりますよ」といった脈絡で登場する。

 聴き手向けの合唱曲のガイドブックがないのは、合唱という分野に関する書き手が欠落していることを意味するのであろうか。いや、そうではない。合唱についての書籍はたくさんある。合唱のガイドブックも何冊かある。最近出版された『必ず役立つ 合唱の本』(清水敬一 監修、ヤマハミュージックメディア)もその1冊である。オーケストラの本であれば、曲や演奏を紹介する類のものがその大勢を占めるだろうが、合唱では、指導や練習法に関するものがけっこう多い。「聴く」ことよりも「教える」「学ぶ」ことの方が、合唱の世界では需要が大きいのだ。さて、この本の第5章のタイトルは「合唱曲のザ・名曲選」である。その副題はこうである。

  選曲のためのレパートリー・リスト90曲

 このサブタイトルを読んで、当まえがきの方向性が決まった、といっても過言ではない。

 この本の帯には、「合唱をはじめよう!」とある。「『市民合唱団に入りたい』/『合唱団でコンクールに出たい』」/そんなあなたに今日から役立つ1冊!」とあるように、合唱初心者向けの本だ。なぜ、そんな人に向かって「選曲のための」リストを作ったのだろう。合唱団に所属している人で選曲作業に携わる人は、いったい何人いるのだろうか。合唱団のなかに選曲に関わる人がいない――すなわち、指揮者が独断で選んでいるところも少なくないだろう。

 執筆者が合唱団の現状を理解していないわけではない。「日本合唱指揮者協会理事長」の職にある合唱指揮者と、「全国の中学、高校にて合唱部の発声指導を行う」(同書の巻末プロフィール)声楽家が執筆をしている。そんな人たちが、合唱団の中でも少数派の人たちのために20ページものスペースを割いているのだ。

「合唱はじめて1年しか経ってないのに、いきなり次回の演奏会の曲目を決めなきゃいけなくなった……。
どうしよう_| ̄|○ 」


とか言っている人をたぶん読者として想定している。これは奇妙だ。曲を選ぶ人はそんなにいるはずはないのだから、その他大勢の、選ばない人向けに書くべきではなかったか? その方がこの本の性格上ずっと自然だと思うのだが。そして、後者の人々に書く場合、「この曲を紹介しましょう。どうです、この歌詞にこのハーモニー。この箇所が最も感動的であり、歌い手にとっても涙が出る箇所です。機会があれば歌ってみてください」といった風になるであろう。「この女声合唱曲が作曲されて50年。今もなお合唱コンクールなどで歌われますが、実に素晴らしい曲ですね。男性の方もぜひ聴いて下さい」とも書けるだろう。「こういうタイトルのCDに収録されています」と書いておけば、初心者がネットなどで購入する際に役立つだろうし、日本伝統文化振興財団や、フォンテックや、ジョヴァンニの方々も売上が増えて喜ぶだろう(2)。しかし、彼らはそうはしなかった。

(2)第5章でとりあげられている作品はすべて日本の合唱曲。上で挙げた3つのレーベルは、日本の合唱曲のCDを数多く発売している。

 そういえば、『合唱名曲ガイド110』の「女声・児童・男声合唱レパートリーリスト」も、「国内楽譜もしくは輸入楽譜で入手可能な作品」という選曲基準も、合唱団の中での「選曲者」というマイノリティの立場を重視したゆえに違いない。なにゆえに、選曲委員会のメンバーや、合唱指導者のことを意識しなければいけないのだろうか。合唱の本は常に少数派のことを考えないと売れない世界なのだろうか。合唱を歌う人の前には、合唱を聴く人がいるはずだ。クラシック音楽の他のジャンルがそうであるように、そのような多数派に向けて本を著しても出版社の利益にはならないのであろうか。

 一方、合唱のCDは売れていないのだろうか。少し検索するだけでも分かる通り、CDはたくさんある。レコード会社は、(そこそこの)利益を生み出せると考えているから合唱の録音を世に送っているのである。「出してもまったく売れない」と判断されるジャンルであったら、合唱曲はとっくに市場から追放されていたに違いない。

 合唱のCDは豊富にあるのに、それに関する専門のガイドブックがないのはどういうことなのだろうか。一つだけいえるであろう。合唱に関わる人たちは皆、聴き手を増やそうということに関心がなかった。担い手が合唱よりも少ないはずの吹奏楽、古楽、現代音楽の分野に書籍が存在するのに。それらの世界には熱心な伝道師がいた。残念ながら合唱にはいなかった。クラシックの他のジャンルがみんな聴き手を増やそうと熱心に頑張っている中、合唱はひたすら怠けていたのだ。オーケストラの1/100さえも努力をしていなかったのだ。合唱がクラシック音楽の玉座から転落したのは必然だとさえ言えるであろう。

 合唱に関わる人たちは上の見解を認めないかもしれない。「私たちは、演奏を通して合唱ファンを増やすべく熱意を傾けてきた」のだと。同じような言葉はオーケストラでも吹奏楽団でも弦楽四重奏団でも言える。では、どうして合唱界は演奏の面に力を注ぎすぎるのだろう。

   *  *  *

 「誰もやる人がいないのだから、自分が伝道師になればいい」という思いからこの計画はスタートした。他のジャンルでガイドを書く者もそうであるように、私も、合唱というジャンルに接する喜びを他の人にも伝え、分かち合いたいと思った。私が立てた計画を仮に「聴き手のための合唱名曲」と名づけよう。合唱のCDを紹介するブログは少なくないが、当計画はそれらとの類似を避けるために以下の方針を採っている。

 合唱の世界を4部に分け、それぞれから厳選した曲を紹介する。第1部を無伴奏男声合唱編とした。第2部は男声合唱(伴奏編)、第3部を無伴奏混声合唱編、第4部を女声・児童合唱編としている。男声合唱を重点的に紹介しているのは筆者の好みということもあるし、混声合唱に比べ一般的なクラシックガイド本では紹介されにくいという点を重視した。お気づきだと思うが、混声合唱(伴奏編)はない。編むとしたらバッハの《マタイ受難曲》やフォーレの《レクイエム》などを選ぶと思う。実際にリストを作ろうとしたことはあったのだが、選曲する楽しみが薄いと感じ、やめた。皆が「名曲」だと識っているものをあらためて選ぶ必要はない。多くの人が知らない曲を紹介しよう。これが当計画の方針の1つだ。すなわち、合唱音楽の全体に目配りをしない。合唱という森の中を彷徨うけれども、木の上――太陽の光が当たっているところ――には登らない。じめじめとした暗い森の中にたくさんのキノコが生えている。それらの中から美味しそうなものを採ってくる。私が行ったのはこういうことだ。第1部だけで数年ほど森を徘徊することになったが、キノコ採りはとても愉しかった。

 ただし、私はキノコ採りの素人だ。収穫しても、どう調理したらよいか分からない。包丁の扱いにさえ自信がない。こんな状況でどういう風にすればより美味しくできるのだろう。ここで私が初めて体験したRPG「ドラゴンクエストⅡ」を思い出す。最初に手にした銅の剣を装備するということがわからなかった頃を。当然スライムにさえまともなダメージを与えられず、何度もやられてしまう。そしてゲームはいつも最初から始まった。「復活の呪文」という概念が理解できなかったのだ。

「ちょっとまて そんなそうびじゃあぶないぞ」

と冒険者へ訴えるのは別のゲームだったけれども、今の私は「装備する」などといったRPGの重要概念をようやく理解するようになったにすぎない。

   *  *  *

 喩え話はこれぐらいにして、第1部「歌う人のためではなく、聴く人のための男声合唱ガイド101(無伴奏編)――チベットから××××まで――」についてもう少し解説する。一部を伏せ字にしたのは、その曲を第3章(編曲編)で扱うまでは秘密にしておきたい、という誰得な動機を持っているからだ。卑猥な単語が入るわけではありません。また、「無伴奏編」と謳ってはいるが、実際には楽器を伴うものも扱っている。第1章(世界の民族・宗教音楽編)に多い。

 本ガイドの選曲について心がけたことをいくつか挙げる。

1.さまざまな時代、作曲家を扱います
 男声合唱の歴史は長い。多くのクラシック本のように、バロックより後だけ扱えばいいだろうみたいな編集はできない。クラシック音楽の全時代をカバーしなければならない。したがって、1人の作曲家にたくさんの数を割く余裕はない。取り上げる曲は1人につき2曲までとしよう……と考えたが、実際には3曲挙げた作曲家がいる。

2.作曲家や作品が有名かどうかにはこだわりません
 無伴奏男声合唱を書いている人はよく知られた作曲家にもたくさんいる。詳しくはWikipediaにある「男声合唱」を見ていただきたい。2013年4月10日時点で掲載されていないけれども、古典派以降で無伴奏男声合唱曲を残した人物としては、他にベートーヴェン、ウェーバー、ロッシーニ、シューベルト、メンデルスゾーン、ワーグナー、ブルックナー、ブラームス、チャイコフスキー、リヒャルト=シュトラウス、ブリテンらがいる。今挙げた11人の作曲家のなかで、第1部でとりあげることになった作曲家はたった2人だけだ。11人全員の男声合唱曲に接した上で、そうしている。

 「男声合唱の世界で有名な曲は何でしょうか」と皆さんに問いたいが、手を挙げた人が回答する曲は、きっと「よく歌われている曲」だろう。当ガイドは「歌い手のための」ではなく、「聴き手のための」ものであるので、そういう意味での知名度をあまり参考にしなかった。もっとも「有名な曲」には何種類も録音があって、私好みの演奏に当たる確率は高くなる。

3.歌詞の意味がわからなくても楽しめます
 皆さんがそう思うかは別として、少なくとも私がそのように感じる曲ばかり選んだ。多くの人の聴き方とは違っているかもしれないが、私は音楽鑑賞の際にあまり歌詞を見ない。中には当ガイドをまとめる際にはじめて歌の内容を理解したという曲もある。そういう鑑賞法なので、皆さんには歌詞の内容をあまり事細かく解説したりしない。だいいち、テキストを解釈するための語学力に欠けている。テキストの背景を説明する能力だってそうだ。自分自身がよく知らないのに、「どうです、感動的な詞でしょう」と言うのは嘘くさい。本ガイドではキリスト教の音楽を数多く紹介するが、私はキリスト教徒ではないので、音楽に感動することはあっても、宗教的な言辞で感動することはない(関心は持っているけれども)。

 そもそも、歌詞がライナーノートに掲載されていないことも多い。「内容がわからなくても大丈夫ですよ」と製作者も考えているのは間違いない。というわけで、時折、歌の内容について、筆者の拙劣な訳を恥ずかしい思いで披露することがあるかもしれないけれども、深く立ち入ることはしない。

 ついでに言っておくと、合唱団員だって必ずしも歌詞の内容を理解しているわけではないのだ。これは皮肉や暴言ではない。ほとんどの男声合唱団員が同意してくれるに違いない。なお、疑問を持たれた方には75番目に登場する曲のなかで解説をする(作曲家でさえ、歌詞の内容がわからないという曲が登場する)。

4.高いものよりも低いものを
 先ほどWikipediaの「男声合唱」の項目(繰り返すが2013年4月10日時点)をお読みいただいた方は、「実際には混声合唱と同等の3オクターブ以上をカバーすることもできる」とか、「この豊かな音域を生かして混声合唱曲を演奏する者たちもいる」という文章を目にしたはずだ。ファルセットを利用した演奏、これを第1部でどう扱うか。かなり迷ったけれども、最終的には「混声合唱編でも扱えばいい」という結論に落ち着いた。最高音が高いものと、最高音が低いもの、仮に両者が同じレベルで、どっちかを選ばなければいけないとすれば、当ガイドでは後者を選ぶことにしたわけである。とはいっても、ファルセットの魅力は捨てがたく、いくつかをここで扱っている。

   *  *  *

 最後に。これを書いている今もなお、「あの人やこの人が書けばもっとすぐれたガイドになっていたに違いないのに」と思っている。ただ、私が思い浮かぶ人たちには、演奏者としての、あるいは教育者としての立場を捨てることはできないであろう。きっと、歌い手への愛情に満ちあふれた文章を書くに違いない。そうして聴き手に冷たい態度を取ってしまうのではないか。「歌う人のためではなく、聴く人のための」といった、ある種の人には挑発的にしか思えないタイトルをつけたりはしないであろう。そして、私が絶対に入れなければならないと考えているあんな曲やこんな曲を選んだりはしないだろう。男声合唱を聴いて15年以上のマニアのささやかな自負なのだ。
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