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03 06
2014

男声合唱

歌う人のためではなく、聴く人のための男声合唱ガイド6 江戸の木遣り

江戸木遣り ベスト
★★
江戸木遣り ベスト
江戸木遣り ベスト
(社)江戸消防記念会 第五区木遣り会
杉林仁一/杉林久男/田中 昭/杉波弘匡/棟方信行/野口義之

  多くの皆様の中には、木遣りを聞いたことがある方もいらっしゃると思いますが、
  ほとんどの方がなにを言っているのか分からないと思います。


 第五区木遣り会が著したCD解説からの引用である。実際、歌詞を見ずに聴くと何を歌っているのかさっぱりだ。少し注意して聴けば、言葉を歌っていることはわかるのだが、一文字一文字が大幅に引き伸ばされている上に、全体の大半が「ヤーレー」だの、「ヨーイ」だの、「アーレーワーサー」といったものなので、意味を理解することは難しい。

 かつてコロムビアミュージックエンタテインメントの最高経営責任者を務めた、廣瀬禎彦の発言を聞いてみよう。

  歌詞はメッセージです。歌を歌うということはすなわち聴く人にメッセージを伝える
  ことです。したがって、まず、聴く人にとって歌詞がはっきりと聞き取れなければ
  なりません。自分は歌詞を歌っているつもりでも聴く人に届いていなければちゃんと
  歌えてない事と同じです。

  http://www.jpma-jazz.or.jp/feature/

 おそらく皆さんのほとんどが、「歌うことはメッセージを伝えること」という教えを受けたことがあるはずだ。その考えを至上とする立場からは、江戸木遣りの歌い手たちは「ちゃんと歌えてない」ということになるのであろう。CDの解説者=木遣りの担い手がなぜ、聴き手に歌詞を伝えられないという状況に甘んじているのか不思議に思うはずだ。もっとわかりやすく歌えないのか?

 彼らは内容の伝達を意図的に拒んでいるのだろうか。もちろんそうではない。でなければ、「なにを言っているのか分からないと思います」の後に、「そのようなわけで分かり易く〔歌詞を〕書いてみました。皆様方に歌っている木遣りが少しでもご理解いただければ幸いに存じます」(括弧内は引用者)と書くはずがない。相手に意味を伝えることよりも、他の面に力を入れることにしただけなのだ。

   *  *  *

 木遣りの歴史について触れよう。木遣りはもともと労働で用いられる歌であった。それが仕事の場を離れて祭りなどで用いられるようになり、やがて祝儀のための歌に変貌していった。今日の江戸木遣りは、後者のタイプに属する。なお、木遣りの原義は字の通り、「木を(どこかへ)やる」ということで、大木を動かす時に使われていた歌のようだ。他にも、重い物を運ぶ仕事、すなわち、家を建てたり、漁師が網を曳いたり、あるいは船を海に下ろす作業の際にも用いられるようになった。

 皆さんも、何人かで一斉に重い物を持ち上げたり、押したりするとき、誰かが「せーのっ」と号令をかけ、みんなで「よいしょっ」などと声を挙げることがあるはずだ。もともとの木遣りもそれと同じである。みんなが同時に力を動かすには、「よいしょっ」の声がバラバラであってはならない。テンポを合わせないといけない。さらに、大勢の人が働く現場なので、「せーのっ役」は周りに聞こえやすいように高い声を使わないといけない。木遣りのソロを担当しているのがたいがい、西洋音楽でいうテノールなのはそういうことなのだ。
 
 仕事をはかどらせるためには、「せーのっ」「よいしょっ」と次の「せーのっ」の間に長い休みがあってはいけない。「せーのっ」「よいしょっよいしょっよいしょっ……」とか、「せーのっ よいしょっ せーのっ よいしょっ……」といったぐあいにすれば一番いい。しかし、そうとう重い物を押したり引っぱったりする際には「よいしょっ」と次の「よいしょっ」の間には適度な時間を置かないと労働者が疲れてしまう。うーん……あんまり長くしてもいかんしなあ、短くしてもみんなが嫌がるだろうし……。そうだ! 何か言葉を入れて歌うことにしよう。歌ならテンポがあるからみんなも合わせられるし、仕事の苦しさも忘れられるんじゃないかな。

 こうして木遣りは誕生した。「何か言葉を入れて」と書いたけれども、あくまでも仕事をはかどらせるためであるから、別に意味のある文言である必要はなかった。つまり、囃子(はやし)言葉で十分であった。自分たちで考えたのか、他の民謡から取り入れたのか、ともあれ、「せーのっ」と「よいしょっ」の間に「コレハセー」だの、「ドッコイー」だのいろいろな言葉が混じるようになった。

 彼らも地域の一員として、宴会やお祭りにも参加していたはずだ。村人だって、木遣りの声を知らないはずがない。宴会にて村人の誰かが、「あんたら、いつもええもん歌うのー。どうじゃ、いつもやってる感じでお祝いの文句を歌ってくれんかー」と木遣り衆へ要求するといったこともあったろう。あるいは、労働者が木遣りの節を、毎日毎日同じように唱えるのは飽きたとか言いながら、祝い歌の歌詞をつけて歌いたくなったのかもしれない。歴史を語るとか言いながら筆者の想像がだいぶ入っているのだけれども、ともあれ、仕事歌としての木遣りはだんだん祝い歌へと変貌していく。

 江戸時代にはお蔭参り、つまり伊勢神宮への参詣が流行したそうだが、伊勢から帰った者たちは、「あっちではこんな歌が流行ってたぜー」などと言って、伊勢音頭を村人たちに伝えていた。木遣りを担う若者たちが感化されないはずがない。ああ、自分たちも歌いたいと。こうして、木遣りの歌詞は伊勢音頭の影響を受けてしまった。そして、ますます仕事歌から離れていく。

 「仕事のための歌」から「祝儀のための歌」への変化。このことは、歌の目的が「自分たちのために」から、「周りの人たちのために」「地域社会のために」へと取って代わられたことを意味する。彼らにはリズムを合わせる必要はなくなったのだ。かわりに、いかにして人々を歌声で魅了するかということに専念することになった。高い音を磨き上げたり、西洋音楽でいうところのビブラートをふんだんに入れてみたり。ずぶの素人には決して歌えない音楽へと鍛えられていった。

 このような疑問を持たれる方もいるであろう。「歌をやるんだからやっぱり、みんなで声の出入りや音程を揃えたほうがいいんじゃないの? 木遣りを聴いているとちっとも合ってないんだけれど。仕事でリズムを合わせてたんだから、それぐらいできるんじゃないの?」

 確かに。彼らだって、外部から「あいつら、声が揃ってねえじゃないか」と批判されれば改善しただろう。おそらくだが、周りはそのように咎めることをしなかった。おそらくを重ねるが、「むしろ揃っていないことがいいんだ!」と評価するようになった。そういえば、作曲家の黛敏郎は、読経の「音楽的な面白さ」についてこのようなことを語っていたことがある。木遣りにも当てはまることだと思う。

  それぞれ自分の一ばん声の出し易いピッチで自由に唱えるとき、不可避的かつ
  偶発的に、非常に複雑な複合音――現代音楽ではトーン・クラスターという――が
  生じ、それが計算されたハーモニーとは全く違った、豊かな音楽的世界を創り出す
  というところにある(1)


 黛が、上の解説を書くこととなった作品が交声曲《般若心経》である。彼はこの作品において、歌い手のピッチを自由にしようと意図した。

 作曲家の間宮芳生に、《合唱のためのコンポジション》という作品がある(2014年現在、第1番から第18番まで書かれている)。第1番の第1楽章は、江戸木遣りを素材とした男声合唱となっている。田中信昭指揮、東京混声合唱団の演奏(日本合唱曲全集 間宮芳生作品集)を聴いてみよう。音楽之友社の楽譜を片手にCDをかけると……あれ? テノールの入りがまるで揃っていない。最初の「ドットコーシェー」はちゃんと合わせられるでしょ? 何でそうしないの? もちろん、これは故意である。作曲家のアイデアか、指揮者の発想かはわからないが、わざとバラバラにしたのだ。

 以上、「同じでないことがいいことだ」と考える人たちの例を紹介した。「歌詞が聞きとれない」という問題も、木遣りの聴衆にとってはどうでもいいことか、むしろそれでいいんだということだろう。出初め式で歌われる木遣りがどういう内容のものかを周りが事前に知っていたとすれば、歌詞の伝達に重きを置く必要はないのだ。

 「ピッチ、リズムがともに乱れているし、歌詞も聞きとれない」というのは、合唱コンクールの場では致命的であろう。だが、木遣り衆と、彼らを取り囲む社会ではそう考えられていない。音楽の良し悪しは単一の価値観によってはかられるものではないのだ。ある種の人にとっては「ちゃんと歌えてない」と難じられるものも、他の人にとっては「実に立派な歌いぶり」と賞讃されることもある。私は皆さんに対して、後者のような立場で木遣りに接してほしいとは望まない。「聴いて損したよ」という感想があってもいい。ただ、このような音楽が成立するのは、それを望んでいる社会がある(あった)からだということが皆さんに少しでも理解できれば、私の紹介の目的は果たせたということになる。木遣りに限らず、チベットの聲明でも、ケチャでも、グレゴリオ聖歌でも、あるいはこれから登場する多くの男声合唱においても同じだ。

(1)「交声曲『般若心経』について」(LP『交声曲 般若心経』ワーナーブラザーズ・パイオニア L-10001W)
 
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 木遣りについては、宮内仁『日本の木遣唄1』『日本の木遣唄2』(日本図書刊行会)が詳しい。木遣りの変化の段階を、歴史を追いながら5つに分けて説明をしており、とてもわかりやすい。なお、江戸木遣りについては著者の意向により(他の人たちによる著述が多いためとして)詳述されていない。

 本文に組み込めなかったもので、ここで、消防団が江戸木遣りを担当している理由について簡単に書く。かつて、消火作業を行っていたのがとび職だったからだ。家の建築のプロである彼らは、周りへの延焼を防ぐために、家を破壊する仕事にも向いていた。木造建築が主流の時代では、彼らは木を運ぶプロでもあったわけで、木遣りを歌うにはもっともふさわしい。
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