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03 06
2014

男声合唱

歌う人のためではなく、聴く人のための男声合唱ガイド6 江戸の木遣り

江戸木遣り ベスト
★★
江戸木遣り ベスト
江戸木遣り ベスト
(社)江戸消防記念会 第五区木遣り会
杉林仁一/杉林久男/田中 昭/杉波弘匡/棟方信行/野口義之

  多くの皆様の中には、木遣りを聞いたことがある方もいらっしゃると思いますが、
  ほとんどの方がなにを言っているのか分からないと思います。


 第五区木遣り会が著したCD解説からの引用である。実際、歌詞を見ずに聴くと何を歌っているのかさっぱりだ。少し注意して聴けば、言葉を歌っていることはわかるのだが、一文字一文字が大幅に引き伸ばされている上に、全体の大半が「ヤーレー」だの、「ヨーイ」だの、「アーレーワーサー」といったものなので、意味を理解することは難しい。

 かつてコロムビアミュージックエンタテインメントの最高経営責任者を務めた、廣瀬禎彦の発言を聞いてみよう。

  歌詞はメッセージです。歌を歌うということはすなわち聴く人にメッセージを伝える
  ことです。したがって、まず、聴く人にとって歌詞がはっきりと聞き取れなければ
  なりません。自分は歌詞を歌っているつもりでも聴く人に届いていなければちゃんと
  歌えてない事と同じです。

  http://www.jpma-jazz.or.jp/feature/

 おそらく皆さんのほとんどが、「歌うことはメッセージを伝えること」という教えを受けたことがあるはずだ。その考えを至上とする立場からは、江戸木遣りの歌い手たちは「ちゃんと歌えてない」ということになるのであろう。CDの解説者=木遣りの担い手がなぜ、聴き手に歌詞を伝えられないという状況に甘んじているのか不思議に思うはずだ。もっとわかりやすく歌えないのか?

 彼らは内容の伝達を意図的に拒んでいるのだろうか。もちろんそうではない。でなければ、「なにを言っているのか分からないと思います」の後に、「そのようなわけで分かり易く〔歌詞を〕書いてみました。皆様方に歌っている木遣りが少しでもご理解いただければ幸いに存じます」(括弧内は引用者)と書くはずがない。相手に意味を伝えることよりも、他の面に力を入れることにしただけなのだ。

   *  *  *

 木遣りの歴史について触れよう。木遣りはもともと労働で用いられる歌であった。それが仕事の場を離れて祭りなどで用いられるようになり、やがて祝儀のための歌に変貌していった。今日の江戸木遣りは、後者のタイプに属する。なお、木遣りの原義は字の通り、「木を(どこかへ)やる」ということで、大木を動かす時に使われていた歌のようだ。他にも、重い物を運ぶ仕事、すなわち、家を建てたり、漁師が網を曳いたり、あるいは船を海に下ろす作業の際にも用いられるようになった。

 皆さんも、何人かで一斉に重い物を持ち上げたり、押したりするとき、誰かが「せーのっ」と号令をかけ、みんなで「よいしょっ」などと声を挙げることがあるはずだ。もともとの木遣りもそれと同じである。みんなが同時に力を動かすには、「よいしょっ」の声がバラバラであってはならない。テンポを合わせないといけない。さらに、大勢の人が働く現場なので、「せーのっ役」は周りに聞こえやすいように高い声を使わないといけない。木遣りのソロを担当しているのがたいがい、西洋音楽でいうテノールなのはそういうことなのだ。
 
 仕事をはかどらせるためには、「せーのっ」「よいしょっ」と次の「せーのっ」の間に長い休みがあってはいけない。「せーのっ」「よいしょっよいしょっよいしょっ……」とか、「せーのっ よいしょっ せーのっ よいしょっ……」といったぐあいにすれば一番いい。しかし、そうとう重い物を押したり引っぱったりする際には「よいしょっ」と次の「よいしょっ」の間には適度な時間を置かないと労働者が疲れてしまう。うーん……あんまり長くしてもいかんしなあ、短くしてもみんなが嫌がるだろうし……。そうだ! 何か言葉を入れて歌うことにしよう。歌ならテンポがあるからみんなも合わせられるし、仕事の苦しさも忘れられるんじゃないかな。

 こうして木遣りは誕生した。「何か言葉を入れて」と書いたけれども、あくまでも仕事をはかどらせるためであるから、別に意味のある文言である必要はなかった。つまり、囃子(はやし)言葉で十分であった。自分たちで考えたのか、他の民謡から取り入れたのか、ともあれ、「せーのっ」と「よいしょっ」の間に「コレハセー」だの、「ドッコイー」だのいろいろな言葉が混じるようになった。

 彼らも地域の一員として、宴会やお祭りにも参加していたはずだ。村人だって、木遣りの声を知らないはずがない。宴会にて村人の誰かが、「あんたら、いつもええもん歌うのー。どうじゃ、いつもやってる感じでお祝いの文句を歌ってくれんかー」と木遣り衆へ要求するといったこともあったろう。あるいは、労働者が木遣りの節を、毎日毎日同じように唱えるのは飽きたとか言いながら、祝い歌の歌詞をつけて歌いたくなったのかもしれない。歴史を語るとか言いながら筆者の想像がだいぶ入っているのだけれども、ともあれ、仕事歌としての木遣りはだんだん祝い歌へと変貌していく。

 江戸時代にはお蔭参り、つまり伊勢神宮への参詣が流行したそうだが、伊勢から帰った者たちは、「あっちではこんな歌が流行ってたぜー」などと言って、伊勢音頭を村人たちに伝えていた。木遣りを担う若者たちが感化されないはずがない。ああ、自分たちも歌いたいと。こうして、木遣りの歌詞は伊勢音頭の影響を受けてしまった。そして、ますます仕事歌から離れていく。

 「仕事のための歌」から「祝儀のための歌」への変化。このことは、歌の目的が「自分たちのために」から、「周りの人たちのために」「地域社会のために」へと取って代わられたことを意味する。彼らにはリズムを合わせる必要はなくなったのだ。かわりに、いかにして人々を歌声で魅了するかということに専念することになった。高い音を磨き上げたり、西洋音楽でいうところのビブラートをふんだんに入れてみたり。ずぶの素人には決して歌えない音楽へと鍛えられていった。

 このような疑問を持たれる方もいるであろう。「歌をやるんだからやっぱり、みんなで声の出入りや音程を揃えたほうがいいんじゃないの? 木遣りを聴いているとちっとも合ってないんだけれど。仕事でリズムを合わせてたんだから、それぐらいできるんじゃないの?」

 確かに。彼らだって、外部から「あいつら、声が揃ってねえじゃないか」と批判されれば改善しただろう。おそらくだが、周りはそのように咎めることをしなかった。おそらくを重ねるが、「むしろ揃っていないことがいいんだ!」と評価するようになった。そういえば、作曲家の黛敏郎は、読経の「音楽的な面白さ」についてこのようなことを語っていたことがある。木遣りにも当てはまることだと思う。

  それぞれ自分の一ばん声の出し易いピッチで自由に唱えるとき、不可避的かつ
  偶発的に、非常に複雑な複合音――現代音楽ではトーン・クラスターという――が
  生じ、それが計算されたハーモニーとは全く違った、豊かな音楽的世界を創り出す
  というところにある(1)


 黛が、上の解説を書くこととなった作品が交声曲《般若心経》である。彼はこの作品において、歌い手のピッチを自由にしようと意図した。

 作曲家の間宮芳生に、《合唱のためのコンポジション》という作品がある(2014年現在、第1番から第18番まで書かれている)。第1番の第1楽章は、江戸木遣りを素材とした男声合唱となっている。田中信昭指揮、東京混声合唱団の演奏(日本合唱曲全集 間宮芳生作品集)を聴いてみよう。音楽之友社の楽譜を片手にCDをかけると……あれ? テノールの入りがまるで揃っていない。最初の「ドットコーシェー」はちゃんと合わせられるでしょ? 何でそうしないの? もちろん、これは故意である。作曲家のアイデアか、指揮者の発想かはわからないが、わざとバラバラにしたのだ。

 以上、「同じでないことがいいことだ」と考える人たちの例を紹介した。「歌詞が聞きとれない」という問題も、木遣りの聴衆にとってはどうでもいいことか、むしろそれでいいんだということだろう。出初め式で歌われる木遣りがどういう内容のものかを周りが事前に知っていたとすれば、歌詞の伝達に重きを置く必要はないのだ。

 「ピッチ、リズムがともに乱れているし、歌詞も聞きとれない」というのは、合唱コンクールの場では致命的であろう。だが、木遣り衆と、彼らを取り囲む社会ではそう考えられていない。音楽の良し悪しは単一の価値観によってはかられるものではないのだ。ある種の人にとっては「ちゃんと歌えてない」と難じられるものも、他の人にとっては「実に立派な歌いぶり」と賞讃されることもある。私は皆さんに対して、後者のような立場で木遣りに接してほしいとは望まない。「聴いて損したよ」という感想があってもいい。ただ、このような音楽が成立するのは、それを望んでいる社会がある(あった)からだということが皆さんに少しでも理解できれば、私の紹介の目的は果たせたということになる。木遣りに限らず、チベットの聲明でも、ケチャでも、グレゴリオ聖歌でも、あるいはこれから登場する多くの男声合唱においても同じだ。

(1)「交声曲『般若心経』について」(LP『交声曲 般若心経』ワーナーブラザーズ・パイオニア L-10001W)
 
----------------------------------

 木遣りについては、宮内仁『日本の木遣唄1』『日本の木遣唄2』(日本図書刊行会)が詳しい。木遣りの変化の段階を、歴史を追いながら5つに分けて説明をしており、とてもわかりやすい。なお、江戸木遣りについては著者の意向により(他の人たちによる著述が多いためとして)詳述されていない。

 本文に組み込めなかったもので、ここで、消防団が江戸木遣りを担当している理由について簡単に書く。かつて、消火作業を行っていたのがとび職だったからだ。家の建築のプロである彼らは、周りへの延焼を防ぐために、家を破壊する仕事にも向いていた。木造建築が主流の時代では、彼らは木を運ぶプロでもあったわけで、木遣りを歌うにはもっともふさわしい。
02 17
2014

男声合唱

歌う人のためではなく、聴く人のための男声合唱ガイド5 ケチャ

KECAK from BALI
★★★
Kecak-a Balinese Music Drama
Kecak from BALI


 第4回で書いたことを繰り返す。チベットや日本の聲明にせよ、グレゴリオ聖歌にせよ、それらは長い歴史の中で近年になってようやく注目されるようになった。「これらの担い手は人々を注目させる必要はなかった」とも書いた。

 バリ島のケチャはこの面で対照的である。その歴史は100年にも満たない。だがケチャは、その誕生の当初から外部に注目されるジャンルであった。現在もそう。バリ島の観光本を開けると、たいていケチャにもスペースが割かれている。たとえば、『地球の歩き方D26 バリ島2013~2014年版』(ダイヤモンド・ビッグ社)という本がある。その中に「バリで絶対に楽しみたいこと10」というのがあるが、9つ目「おすすめパフォーマンスはここです!」として、ウルワツ寺院のケチャが写真つきで紹介されている。「バリで一度は体験しましょう!」というキャプションつきで。

 男声合唱は、クラシック音楽のガイドブックにおいて「一度は体験しましょう!」と言われたり、「絶対に楽しみたいこと10」に入ったりすることはない。そもそも、男声合唱がその手の本でとりあげられることじたい稀だ(せいぜいグレゴリオ聖歌ぐらいであろう)。シューベルトの《水の上の精霊の歌 D. 714》や、ブルックナーの《ヘルゴラント》が掲載されている本をあなたはご存じだろうか。そもそもこの2曲は、男声合唱団員でも聴いたことがない方が多数派ではないだろうか?

 脇道にそれた。先ほど「100年にも満たない」と書いたように、ケチャは誕生して間もない民俗芸能である。モスクワ生まれのドイツ人画家、そして音楽家でもあるヴァルター・シュピース(1895-1942)によって生み出された。

 シュピースがインドネシア(当時のオランダ領東インド)に渡ったのは1923年のことである。渡航前、彼はアムステルダムの美術館で展覧会を開いているが、同市の博物館でインドネシアの芸術に接したことが、彼を旅立たせるきっかけになったといわれている。その9年前、彼は抑留され、ロシアのウラル地方に送られている。そこで彼は現地の伝承文化に接し、強い衝撃を受けた。このことも、ヨーロッパを脱出することになった原因の1つである。後に彼は手紙にこう書いている。

  ウラルの山々で三年間の抑留生活を過ごし、そこで本当の生活とは何なのかを
  知り、感じ、見てきた僕にとって、ヨーロッパで寛ぐことは不可能なことでした(1)


 1925年春、彼はバリ島を初訪問する。島の有力者から西洋音楽を教えるよう要望されたことがきっかけだったらしい。ここで彼はサンヒャン・ドゥダリという舞踊を見学している。合唱のリズムに乗って、幼い少女が恍惚状態の中、無我夢中に舞い踊る様子を見て、心を揺さぶられた。

 舞踏劇としてのケチャは、このサンヒャン・ドゥダリをもとに創作された。それは1930年5月、バリ島のブドゥル村の寺院で行われたサンヒャン・ドゥダリにさかのぼる。その際、男声合唱のリーダー役を務めることになっていた者が病気のため、イ・ワヤン・リンバックという20歳の若者がリーダーを代行することになった。

 合唱は、少女をトランス状態に導き、踊ってもらうための役割を演じる。しかしながら、リンバックは――自らもトランスに入ってしまったのであろう――突如立ち上がり踊り始めた。合唱を導きながら踊り狂うリンバックの様子に感銘を受けたシュピースは、儀式の翌日、村人に向かって舞踏劇を作ろうと提案した。

 その話し合いの中で、インドの「ラーマーヤナ物語」をもとにした劇になることが決まっていった。振付はシュピースが行い、踊りの中心役はリンバックが務めることとなった。

 当時のバリ島は、海外からの観光ブームの中にあった。シュピースは、村に伝わる儀式や踊りを観光客向けにアレンジする仕事を行っていた。彼が舞踏劇ケチャを外部に公開しようと村人たちとともに作り上げていた最中、彼はある仕事を引き受けることとなる。ヴィクトル・フォン・プレッセン監督による、バリ島を題材とした映画撮影への協力であった。その映画のクライマックスは、シュピースと村人たちによって作り上げられたケチャのシーンである。こうして、ケチャは映画を通して多くの人々の目に留まることとなった。

 その映画のタイトルは「悪霊の島」である(「悪魔の島」とも呼ばれている)。ケチャは、映画「悪霊の島」の制作にあたって創造されたという説が広く流布されているが、実際にはその少し前から作りあげられていたのだ。

 後に、シュピースはケチャについて、バリ人による創作だと主張した。しかしながら、リンバックによると、シュピースが重要な関与をしたということである。おそらく、彼は自分の役割を隠したかったのであろう。その理由は3つ考えられる。

 まず、彼の謙虚さゆえであろう。「私はバリ人の芸能を手助けしたにすぎない」と。

 2つ目は、村人たちの収入面である。シュピースが観光客向けに踊りをアレンジしていた理由の1つがこれなのだ。

 お客が見たいのは、本場の芸能である。自分が表に出たら、バリ人の芸能ではなく、シュピースの創作芸能だとみなされるだろう。それではツーリストたちに見てもらえなくなるのでは……(村人がお金を得ることができなくなるのでは)と考えていたのではないか。

 3つ目は、ウラル地方で過ごした頃から抱き続けた、民族文化への憧れである。

 踊りにせよ、音楽にせよ、それらの誕生にあたっては、作者(作者たち)がいたはずだ。しかしながら後の世代に伝えられる中で彼らの名前は忘れられた。バリ島では昔から絵や彫刻も盛んであったが、その制作者たちも忘れられた。作者という概念が必要ではない社会だったからである。バリには「芸術家」に相当する言葉はなかった(2)。「バリの人々はみな畑で働いたり、豚にえさをやったりするのと同じように詠歌を歌ったり、奉納の踊りを踊ったりする」(3)とシュピースは綴っている。

 彼は、バリ島の人々に共感を持つ者として、彼らと同じような道を望んだ。名無しの1人になればいいと、そう願っていたのではないか。

 もちろん、シュピースがケチャの創作にたずさわったことは多くの文献にある。踊り手のリンバックも公言している。シュピースの意図は失敗してしまったといえるのかもしれない。しかし、すべてのバリ島旅行者が、彼のことを知っているわけではない。そうした人たちにとっては、ケチャはバリ人のみによって作りあげられた伝統芸能だと信じられているであろう。なお、ケチャはシュピースの手を離れた後もアレンジが加えられた。ケチャは個人の仕事から、バリ島の文化へと着実に変わり続けている。

 シュピースがバリ島に旅立つ前、1922年の手紙にこう書かれている。

  民族芸能は、作者がわからないものほど真実をもたらすのです(4)


(1)伊藤俊治『バリ島芸術をつくった男――ヴァルター・シュピースの魔術的人生』(平凡社)p. 68
(2)同p. 79
(3)同p. 80
(4)坂野徳隆『バリ、夢の景色――ヴァルター・シュピース伝』(文遊社)p.85。ケチャのルーツについてはこの著書を参考にした。


   *  *  *

 今回、冒頭で紹介したCDは、手持ちのケチャの中から一番いいものを選んだ。国内盤では『甦る伝説のケチャ』が素晴らしい。300人以上の演奏なのにリズムがほとんど乱れないということに驚嘆させられる。また、本稿では一切割愛した、ケチャのリズムの解説については、『神々の森のケチャ』が実にわかりやすい。

 国内盤の2枚の解説を担当している大橋力は、山城祥二という名前でも知られ、芸能山城組の創設者としてケチャの普及につとめている。CD『芸能山城組入門』にケチャの合唱パターンを1パートずつ紹介するトラックがあるので、こちらを聴くことで、よりケチャへの理解が深まるであろう。

甦る伝説のケチャ
甦る伝説のケチャ

神々の森のケチャ
神々の森のケチャ

芸能山城組入門
芸能山城組入門
05 13
2013

男声合唱

歌う人のためではなく、聴く人のための男声合唱ガイド<番外編> なぜ、男だけで歌うのか

 ここまで4回にわたって、男声合唱による仏教音楽とキリスト教音楽をとりあげた。聲明もグレゴリオ聖歌も、原則的に男のみによって演奏されてきた。彼らはどうして、女と一緒に歌わなかったのだろうか。

 答えは簡単だ。女とともに活動することを彼らが拒んだのだ。なぜ拒むのか? 今回はこのことに少しだけ触れておきたい。

   *  *  *

  教会では、妻たちは黙っていなさい。彼らは語ることを許されて
  いません。律法も言うように、服従しなさい。
                  コリント人への手紙第1 第14章34
                          ※傍線部は引用者。
   (新改訳聖書刊行会訳『新改訳 新訳聖書』日本聖書刊行会)


 教会音楽への女性の参加は、長らくの間認められていなかった。下線部は、左記のことを書く際にしばしば引用されるようである(1)。しかしながら、次のような疑問がわく方もいるだろう。「『妻たちは黙っていなさい』と聖書にあるけど、未婚の女はどうなの? 別に黙っている必要はないんだよね」
(1)皆川達夫『改訂版 合唱音楽の歴史』(全音楽譜出版社)p. 17や、ロバート・ステファン・ハイネス『合唱曲の作曲』(グリーンウッド)p. 140〔Robert Stephan Hines, Choral Composition, Greenwood Press〕。なお、第14章35には「もし何かを学びたければ、家で自分の夫に尋ねなさい」とあるので、「妻たち」を女一般に解釈することはできない。

 確かにそうなのだ。しかし、下線部を支持する者は、教会音楽から女全体を締め出したかったようだ。女であれば自然に出せる高音を、彼らは、声変わり前の少年に行わせた。または裏声を使って。あるいは男を去勢させてまでも。なぜ、そこまでして女を入れたくなかったのだろう。

 ソフィー・ドリンカー『音楽と女性の歴史』(水垣玲子訳、學藝書林)は、そのような疑問を持った者がまず手にすべき好著だ。歴史以前の時代において、あるいは文明の初期において、女は男よりも音楽の環境に恵まれていた。音楽はもっぱら女によって支えられていた。しかしながらやがて、音楽に男が進出し、女が担っていた役割を奪う。そして女を追放してしまうのだ。

 キリスト教が誕生してしばらくの間は、女声合唱が活発に行われていたようだ。女だけではない。男と女による混声合唱も行われていた。しかしながら、ある時期から男が女を追放しはじめた。というよりも、キリスト教が生まれる以前から存在していた、女性蔑視の思想がいつしかキリスト教全体の中で優勢を占めるようになっていったと表した方がよいだろう。教会音楽から女がまったくいなくなることはなかったけれども、彼女らは修道院の中に閉じ込められ、以後、教会音楽の中心は男たちが握ることになる。

 女と歌うなんてとんでもないと彼らは考えた。彼らにとって、女は「寄ってきては困る存在」なのだ。そのように考えた理由を本格的に考証すると、本が1冊できてしまうだろう。なので簡単に。1つだけ書く。性欲だ。ここまでキリスト教について書いてきたけれども、人間の性欲は普遍的に存在するわけで、仏教についても同じことが言えるに違いない。

 仏教と性についての著書は、愛川純子・田中圭一『セクシィ仏教』(メディアファクトリー)が断然面白い。禁欲を善としているはずの僧侶が、あんなことやこんなことをしてまで性欲の処理に頭を抱えている(今「あんなこと」や「こんなこと」を考えた人たち! その中の10人に9人ぐらいは「僧侶の発想にはかなわんわー(;´д`)」と打ちのめされるか、呆れ果てることだろう)。

 性をどのように遠ざけるかについては、僧侶にとっても、牧師や修道士にとっても重要なことだ。酒や肉であれば遠ざけるのは比較的簡単である。それらは動かないからだ。女は動く。ありがたいお言葉を聞きに男に近づいてくるのだ。「ひっ! 近寄るな! 近寄るなと言っておろう!」こんなことを思っていたかどうかはわかりませんが、女を厄介な存在だとして、飲食物以上に蔑視していたとしても不思議ではない。彼らが女を排除する方法は2つだ。自分たちが特定の場所に閉じこもり女の侵入を防ぐ。もう1つは、女を閉じ込める。2つめが行えるのは、禁欲を重視する者が、社会の中で大きな力を発揮できるようになった時である。

  女に対して男自身の衝動を抑圧しなければならないために、女は
  抑圧されるべき存在となったのである。
                 ソフィー・ドリンカー『音楽と女性の歴史』


   *  *  *
 
 引用でバシッと(?)終わらせようと思ったけれども、一言補足しておく。今回のテーマを、男声合唱団一般に当てはめないでいただきたい。現代の男声合唱団員は、別の理由で女と分かれて歌っているのだから。
05 02
2013

男声合唱

歌う人のためではなく、聴く人のための男声合唱ガイド4 聲明とグレゴリオ聖歌

ムジカ・サクラ――仏教の聲明とグレゴリオ聖歌

Musica Sacra-Buddhist Shomyo & Gregorian Chants
Musica Sacra-Buddhist Shomyo & Gregorian Chants
ダヴィッド・エベン指揮 スコラ・グレゴリアナ・プラゲンシス
斎川文泰指揮 魚山流天台聲明研究會

 グレゴリオ聖歌と日本の聲明には、いくつかの共通点がある。第一に、基本的に単旋律であること。第二に、どちらにも楽譜(記譜法)があること。グレゴリオ聖歌にはネウマ譜があり、聲明には博士(はかせ)がある。前者は今日の五線譜につながった。

 第三は、どちらも古い歴史を持ちながら、近年まで注目されてこなかったということだ。グレゴリオ聖歌も聲明も、もともと、演奏会で披露するために作られたわけではない。これらの担い手は人々を注目させる必要はなかった。彼らがやることの良さに気がつき、広めようとするのは他者である。

 まず、グレゴリオ聖歌が近年注目されるようになったという、ひとつの証左を示そう。CiNii Booksで「グレゴリオ聖歌」を含む書籍を検索した結果を下に挙げる。1990年代から、グレゴリオ聖歌を扱う本が大幅に増えたことがわかる。

・グレゴリアン音樂學會編『グレゴリオ聖歌教本』(グレゴリアン音樂學會、1940-42年)
・カール・パリシュ、ジョン・オール(服部幸三訳)『音楽史――グレゴリオ聖歌からバッハまで』(音楽之友社、1958年)
・水嶋良雄『グレゴリオ聖歌』(音楽之友社、1966年)
・E.カルディーヌ(水嶋良雄訳)『グレゴリオ聖歌セミオロジー――古楽譜記号解読解釈』(音楽之友社、1979年)
・新垣壬敏編『グレゴリオ聖歌と日本の典礼聖歌――キリスト教音楽譜例集 同声二部三部』(ヨルダン社、1979年)
・長谷川冴子『少年少女合唱曲集――グレゴリオ聖歌から日本の歌まで』(ドレミ楽譜出版社、1981年)
・美山良夫、茂木博編著『音楽史の名曲――グレゴリオ聖歌から前古典派まで』(春秋社、1981年)
・テ・ラローシュ(岳野慶作訳)『グレゴリオ聖歌の歌い方――ソレム楽派による』(音楽之友社、1990年)
・『聴く音楽史――グレゴリオ聖歌から武満徹まで必聴CD155曲』(音楽之友社、1995年)
・キャサリン・ル・メ(左近司彩子訳)『癒しとしてのグレゴリオ聖歌』(柏書房、1995年)
・岳野慶作著、宮武誠一編『グレゴリオ聖歌のこころ――その霊性の探究』(創風社出版、1996年)
・鈴木孝寿『スペイン・ロマネスクの道――グレゴリオ聖歌の世界』(筑摩書房、1997年)
・水嶋良雄編『Cantus gregorianus = グレゴリオ聖歌集』(エリザベト音楽大学宗教音楽科グレゴリアン研究室、1997年)
・金澤正剛『中世音楽の精神史――グレゴリオ聖歌からルネサンス音楽へ』(講談社、1998年)
・ジャン・ド・ヴァロワ(水嶋良雄訳)『グレゴリオ聖歌』(白水社、1999年)
・田村和紀夫『名曲が語る音楽史――アナリーゼで解き明かす グレゴリオ聖歌からボブ・ディランまで』(音楽之友社、2000年)
・久保田慶一『はじめての音楽分析――グレゴリオ聖歌から新ウィーン楽派まで』(音楽之友社、2001年)
・E.カルディーヌ(水嶋良雄・高橋正道訳)『現代聖歌学に基づくグレゴリオ聖歌の歌唱法』(音楽之友社、2002年)
・十枝正子編著『グレゴリオ聖歌選集』(サンパウロ、2004年)
・リチャード・L.クロッカー(吉川文訳)『グレゴリオ聖歌の世界』(音楽之友社、2006年)
・田村和紀夫『新 名曲が語る音楽史――アナリーゼで解き明かす グレゴリオ聖歌からポピュラー音楽まで』(音楽之友社、2008年)
・ドム・ダニエル・ソルニエ(渡辺宏子訳)『グレゴリオ聖歌入門』(サンパウロ、2008年)

 聲明の普及にあたっては、演出家であり、国立劇場の演出室長をかつて務めていた、木戸敏郎を抜きにして語ることはできない。彼は聲明という言葉を、それまで使われていた概念とは異なる意味で用いた(1)。寺院でしか行われなかった儀式を「音楽」として、コンサート会場の上で提出した。そのことのインパクトはかなり大きかったようだ。

(1)木戸敏郎「『聲明』以後――博士(ノーテイション)の解読と声(リアリゼイション)の解釈」(『比較文化論叢 札幌大学文化学部紀要』6号)

 多くの人が「いい音楽」だと言うようになると、誰かが「この魅力を日本だけに広めておくことはもったいない。海外にも紹介しようじゃないか」と言うようになる。「そうだ、そうだ」となる人が数人、数十人どころではなくなった時に、海外公演が行われる。そうしてある時、誰かがこう言う。

「そういえばさあ、グレゴリオ聖歌と聲明って似てね?」
「そうだよね」
「似てるんだから、一緒にやれば面白いんじゃね? せっかくだからさ、本場の人を日本に連れてこようよ。それか、お坊さんにあっちの教会で歌ってもらうとか……どうよ?」
「そうだなー、お坊さんがコンサート会場で歌うのはもう何遍もやってきたし、外国の教会で歌ってもらう方がより面白そうだな」


 グレゴリオ聖歌と聲明。両方をともに愛する人は、日本にどのくらいいるかは分からない。一方が好きな人、両者が好きな人の数を比較したとしたら、後者は間違いなく少数派だ。グレゴリオ聖歌を広めた人と、聲明を広めた人。彼らが普及対象としていた層は明らかに違っていたであろう。それらの層の中に、2つの音楽の素晴らしさに目覚めた人がいたのだ。

 「似てね?」という言葉から、「一緒にやれば面白いんじゃね?」という言葉へつなげられる人間は北半球に何人いるか分からない。演奏会を開くには大きな力がいる。ましてや、今回のコンサートは日本人だけで開けるわけではない。聖歌隊を日本に呼ぶにせよ、自分たちがあちらへ行くにせよ、かなりのお金とエネルギーがいる。思いつきだけでできることではない。上の二人が実現に向けて動くとすれば、どれだけ多くの人を説得させなければならないのだろうか。国も言葉も宗教も違う人たちを、「オー、それは実にマーヴェラス!」と言わせるだけの力……。あった。まあ、上の二人の話は架空ではあるけれども、そういう行動力を持つ熱心な人たちがいたおかげで、聲明とグレゴリオ聖歌を一緒にやるコンサートが何回か行われてきたわけである。

 さて、前置きが長くなって申し訳ございませんでした。2008年6月8日に、ドイツのマウルブロン修道院で行われたコンサートのライブ録音である。輸入盤なので、曲目は当然アルファベットで書かれている。ここでは日本語にしたものを掲載する。

1.諸聖人の連祷
2.護身法(ごしんぼう)
3.大懺悔(おいさんげ)
4.聖霊来たりたまえ
5.諸天漢語讃(かんごのさん)
6.アレルヤ、大いなる主
7.総礼伽陀(そうらいかだ)
  詩篇51 主よ、我をあわれみたまえ
8.預言者エレミアの祈り
9.アンティフォナ「他の者は立ち上がり」
  諸天漢語讃
10.おお、輝かしき乙女よ
11.九條錫杖(くじょうしゃくじょう)
12.昇階唱「正しき者は棕櫚(しゅろ)のように栄え」
13.阿弥陀経(あみだきょう)
  キリエIV
14.神力品(じんりきほん)
  歌「栄光の乙女よ」
15.吉慶梵語讃(ききょうぼんごのさん)
16.コラール

 例によって、それぞれの歌の詳細については立ち入らない。7曲目のように、聲明にグレゴリオ聖歌が割り込んだりするもの、9曲目のように、その逆のことが起きるものがある。2つの音楽をともに愛する者は、「お互いがそれぞれの領分を担当するだけではつまらない」と考えたに違いない。「せっかくだからコラボしようよ! その方が面白いよ!」と働きかけた。それに対し、仏教の人間もキリスト教の人間も「いいね!」ボタンを押したのだ。

 人は、その結果を、「宗教の違いを超えて」という言葉に代表されるような感動として受けとるものなのかもしれない。私は思うのだ。企画者は、そのような美辞麗句を感じてもらいたいがために作ったのではないのだと。彼が強く抱いていたのは「良いもの、面白いものをみんなに届けたい」という熱意であると。合唱曲紹介計画を立てた私も、彼に負けないようにしたい。
04 25
2013

男声合唱

歌う人のためではなく、聴く人のための男声合唱ガイド3 東大寺お水取りの声明――言葉よりも音楽が大事?

東大寺お水取りの声明
★★
東大寺お水取りの声明
東大寺お水取りの声明
東大寺一山僧侶
守屋弘斎(和上)
上司永慶(後夜・晨朝大導師)
橋本聖圓(日没大導師)
森本公誠(咒師)
北河原公敬、筒井寛昭(堂司)
平岡昇修(読経 頭一)
狹川普文、清水公庸(後夜時導師)
橋村公英(日没時導師)
上司永照(晨朝時導師)
森本公穣(読経 頭二)
稲垣観清(堂童子)

 ここに収められたのは、奈良の東大寺で演奏されたものではない。1996年8月に、東大寺の僧侶が東京公演を行った際のライブ録音である。

 本来であれば、東大寺二月堂で行われる「修二会」(しゅにえ)という法要について語るべきなのだろう。前回も前々回も、私は歌の背景や、詞の内容について語るのを意識的に避けてきた。これには2つ理由がある。まず、当ガイドの選曲基準の1つが「歌詞の意味がわからなくても楽しめるもの」ということにある。私は、音楽を鑑賞するにあたってライナーノートをあまり読まない。そんな自分が歌のバックグラウンドをもっともらしく力説すればするほど、もう1人の私がこう冷やかす気がするのだ。「意味がわからなくても楽しめるんでしょ? 何で解説してるの?」 ……うぐぐ、確かに。

 第2に、「もっともらしく」説明しようにも筆者にその能力が欠けている。語学力、音楽史、宗教の知識などだ。「もっともらしく」らしく語ることなら私にもできるし、今後も必要に応じて活用するつもりである。でも、前回のグレゴリオ聖歌にせよ、今回の修二会にせよ、他のサイトで十分に解説されているのだから、所詮付け焼き刃に過ぎない私が同じことを語る必要はないと思う。

 言い訳が見苦しいばかりなので、CDの紹介に移りたい。今回のCDの収録時間は67分近くとなっている。通して聴くのがたいへんだと敬遠される方も少なくないに違いない。ただ、今回とりあげる声明は、日本の他の声明に比べると非常にわかりやすい。「如来唄」「宝号」「五仏御名」「廻向文」のように、独唱者が何かを歌った後に、合唱がソロを真似するという手法がそこかしこに使われており、聴きどころがはっきりしている。先ほどの4つが出てくる箇所を下に示す(【】内の数字はトラック。時間は一応の目安)。

   如来唄  【1】3:18~3:58、【2】7:00~7:33、【3】1:04~1:11
   宝号   【1】22:30~26:55、【2】17:40~20:41、【3】2:39~3:22
   五仏御名 【1】28:01~28:50、【2】21:47~22:35、【3】4:01~4:11
   廻向文  【1】30:38~31:14、【2】26:55~27:21、【3】5:28~6:25


 他、「称名悔過」(【1】11:08~22:30、【2】13:35~17:40、【3】1:51~2:39)も、ソロと合唱の掛け合いを行いながら進行してゆく。

   *  *  *

 この録音で歌われる声明は、中国の僧侶である玄奘が訳した『十一面神咒心経』をもとにしている。ライナーノートに掲載されている「声明の唱句」を見て驚いたのだが、この「声明作品」の「作曲家」は、歌詞の扱いをかなり自由に行っている。もはや、乱暴と言ってもいいだろう。たとえば、先ほどの如来唄を以下に挙げよう。本来40文字ある原詞のうち、歌われているのはわずか11文字に過ぎない(太字が歌われる箇所。ついでにおことわりするが、今回は歌詞の内容にも多少踏み込む)。

  来妙色身
  間無与等
  無比不思議
  是故今敬礼
  来色無尽
  智慧亦復然
  一切法常住
  是故我帰


 「廻向文」はさらにすごい。119文字中、歌われているのは40文字。そのうち24文字が「向」(こう)という漢字だ。そのため、

  独唱「こう」 合唱「こう」、
  独唱「こう」 合唱「こう」……


の繰り返しとなってしまった。

 また、トラック2の「称名悔過」では、「南無十一面大悲」とある原詞を「一面大悲」としか歌わせていない。「作曲家」が勝手に十面減らしてしまった。「十」が歌われていない理由については引用箇所の前後を見ればわかるけれども、要するに、「作曲家」は言葉の意味内容よりも音楽のリズムを優先したのだ。詞をこのレベルまでぶったぎるということは、現代の作曲家でもなかなかできないことだ。ただただ、唖然とする。こんなことが昔にできたなんて。

 おそらく、やり始めた当初は猛反発にあったんじゃないでしょうか。「詞の意味がわからなくなる」とか、「仏への大切なお言葉を台無しにするなんて許せない!」とかね。でも、「作曲家」は意に介さなかった。言葉よりも音楽が大事なのだ。音楽が言葉に従属してはいけないのだ。言葉に気を遣うあまり、しまりのない音楽になることを何よりも恐れたのだ……こういう想像は、仏教音楽のことをまったく勉強していない筆者の脳内に留めることとしよう。

 この「作曲家」の大胆なところは他にもある。言葉を歌う速度だ。独唱がトラック1の8:02~8:57まで、つまり、およそ1分にわたって「願以此功」の4文字だけを歌う。これだけならさほど珍しくもないのだが、同じトラックの28:59からは、合唱が次の句を11秒ほどで唱えきってしまう(しかも最後の3秒ほどが最後の「三宝」という言葉を歌うのに充てられている)。暇な人は下の句を先ほどの時間内に音読していただきたい。無論、括弧内の条件も考慮に入れよう。

  衆生
  悉発菩提心 繁心常思念
  十方無量仏 復願諸衆生
  永破諸煩悩 了了見仏性
  猶如妙得等
  発願已 帰命礼三宝


 合唱団に上の句を一斉に読んでもらった時に実感できると思うのだが――そんな機会はあなたにも私にも来ないと思うのだが――言葉の聴き取りがたいへん困難になる。「作曲家」は故意にそれを目指している……としか思えない。もちろん音楽上の効果を狙ってのことである。ともあれ、「願以此功」では1文字あたり14秒ほどかかっていたのに対し、「衆生……帰命」では、1秒あたり(控えめに見積もっても)5文字。その差は70倍だ。歩く人間とF1マシンぐらいの開きがある。これだけの速度の幅をもつ歌曲や合唱曲は、現代にもそうそう見つからない。

 最後に余談。声明が男の世界だなあとあらためて思うのは、テキストの中にこういう句があるからだ。木村清孝・森本公誠による対訳も載せている。

  若但書写 是人命終 当生忉利天上
  是時八万四千天女 作衆伎楽 而来迎之
  其人即著七宝冠 於采女中 娯楽快楽

  もしただ(この経典を)書写せば、この人は命終えて、
  まさに忉利天《とうりてん》のうえに生まるべし。
  この時、八万四千の天女はもろもろの伎楽を作して、
  来たりてこれを迎えん。
  その人、すなわち七宝の冠《かんむり》を著《つ》けて、
  於采《うねめ》のなかにおいて娯楽《たのし》み快楽ばん。


 「経典を書写すれば、死後、天界でたくさんの天女に迎えられる。女官に囲まれて楽しく過ごせるんだよ」ってなあ……。真面目な祈りの中に、突然、男の欲望がむき出しに顕れるのがたまらない。噴き出してしまった自分は、きっと俗世でも死後でも女に恵まれないだろう。
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Author:scaffale
「日本詩人愛唱歌集」「校歌の花束」の管理人

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